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大島弓子『綿の国星』

 『綿の国星』を一通り読んだ後残ったのは、屈折というか、屈託というか、その種のもやもやとしたかんじで、それは悲しかった。

 第1作の「綿の国星」で、チビ猫はゆらいでいた。人間と猫とのあいだでゆらぐ半人間だった。あるいは、等身大の自分と向き合いゆらぐ少女でもあった。

 物語の初め、チビ猫は

「だからわたしはいつの日か人間に変わるのだ おっぽも消え耳も消え 人間のしぐさ人間のことば」

と読者に向かって語りかける。ところが人間になろうとする試みはことごとく失敗に終わり、恋した時夫にもみつあみという女性が現われてしまう。

 やがて、ラフィエルという美しい銀猫が現われ、

「猫は人間にならない 猫は猫から生まれて猫でおわる」

と宣告する。チビ猫が成長すれば、すこぶるつきのだれもかなわぬ美猫―綿の国星に住む姫であるホワイトフィールド―になれるとも言い、自分と共に旅に出ようとプロポーズするのだった。

 チビ猫は、ラフィエルの誘いを断り、人間になるという理想を追い求める。しかし人間になることはやはりどうしても出来ない。このときのチビ猫は、いっそ清々しいほどに、少女である。ラフィエルと共に生きること―メス猫となること―の前に立ち尽くし、戸惑う。だからといって、人間になるという理想に生きる―自分の気付きに無自覚に生きようとする―ことも出来ない。

 結局、チビ猫はラフィエルと旅に出ることは出来ず、また、人間と共に生きることもやめられないのだ。けれど、

「時夫はさっきでかけたし 私は今ミルクをのみおえて いい気持ちで まぶたが重い 屋根の上でねむろう ひとねむりしておきたら その時私は ホワイトフィールドに一歩 近付いているのです」

と最初の物語が占めくくられたとき、そこにはかすかな希望が見えた。宿命としか言えない理不尽な成熟を、猫は猫のまま死んでいくことを、それでもなお、主体的にとらえ直そうとする懸命さがあった。これこそがチビ猫の成長だったと言ってもいい。「わたし」、「あたし」を名乗ってきたチビ猫が、初めて「私」という一人称で語ることからも、内面の変化が受けとれた。

 けれども、第2作以降、経験を積み重ね、現実を知るほどに、チビ猫はむしろ幼くなっていく。猫であること、女性であること、いつか綿の国へ旅立つこと、気付き始めていたことが全て放り出され、チビ猫は成長しないからだに閉じ込められてしまう。

 恋敵であったはずのみつあみは物語から消え、ラフィエルは失踪し、チビ猫の内面はどんどんと純粋無垢なものになっていく。チビ猫は、次第に人間世界の観察者として振る舞うようになる。猫と少女にしか見えない抒情詩のような世界は、大人の人間の世界から分離される。チビ猫は世界の現実を学び、ときに思い悩む、けれど、それはもはや自分とは関係の無い世界の現実である。

 チビ猫は、ホワイトフィールドになれなかった。それは読者が望んだことだったかもしれないし、単に大島弓子が成長なるものを描こうとしなかった、ということかもしれない。しかし、いずれにせよ、この物語を読むと、ゆらいでいたチビ猫とその喪失を思って、悲しくなる。

綿の国星 漫画文庫 全4巻 完結セット (白泉社文庫)

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